オーストラリア・ハウス滞在記- 懐かしいアーティストの再訪 -

妻有日記投稿日:2018年01月26日

2010年、初代「オーストラリア・ハウス」で滞在制作した工芸作家のモード・バースさんとパートナーのクリス・タグウェルさんが、2017年、越後妻有を再訪し、新しい「オーストラリア・ハウス」での宿泊や浦田地区の人々との再会を楽しみ、その時の様子を寄稿してくださいました。「オーストラリア・ハウス通信」第2号の発行にあわせてコラムとしてご紹介します。通信とあわせてぜひご覧ください。

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オーストラリア・ハウスへの再訪:2017年浦田に戻る

その小包は、飯塚さんが差出人で飯塚さん宛になっていたけれど、飯塚さん自身は小包を送ったこと、ましてや自分自身に送ったことなど覚えがありませんでした。彼の会社の人も誰も心当たりがありません。決して小さくはない、忘れるには大きな約1メートル四方の箱。何かが腑に落ちません。そして私たちが現れました。

さかのぼること2010年、私のパートナーであるモード・バースは浦田地区のアーティストインレジデンスの作家として、初代オーストラリア・ハウスに3ケ月間滞在し、オーストラリアの羊毛と日本の絹を組み合わせたフェルト作品の展覧会を制作しました。 フェルトは日本ではあまり馴染みがありません。羊がほとんどいないこともあり、自然の羊毛をみたことがある人がいないのです 。地元コミュニティのための初めてのワークショップで、モードは村のお年寄りに、フェルト作りについて教え、羊毛もしくはどんな「毛」でもフェルトを作ることができると説明しました。数日して、久保田さんが、袋いっぱいのぜんまい(シダ植物)を覆う綿毛をもって現れました。 モードに、フェルトになるのは動物の毛だけという意味だったと説明する勇気がありませんでした。その代わりに、作品の一部にぜんまいをとりいれる方法をみつけることにし、彼女は、ぜんまいの丸まった葉が木から見え隠れする、森を思い起こさせるような美しい作品を作りました。

7年の月日を経て、私たちはそれを浦田に持ち帰りました。 飯塚さんの会社に着くと、まるで古い友人を迎えるように挨拶されました。よしさんは以前と同じように、私たちに会うために上越から車でやってきて、通訳をしてくれました。彼がきてくれたことが本当にうれしかったです。7年も経ったとは思えませんでした。村の中を少し散策し、地元の店に立ち寄ったり、お気に入りの蕎麦屋で昼食を食べました。初代オーストラリア・ハウスがあった場所も訪ねました。 どんなものがあるのか予想もしていませんでしたが、そこには真新しい家が建っていて、池や木々そして道や谷間に広がる景色は、かつてのままでした。もともとあった家は、彼は東京に住む大工保坂さんの祖父母の家でした。彼は職人の技術を全て使いこの新しい家を建てました。中に招きいれられると、素晴らし作りだったけれど、違う窓から見慣れた景色を見るのは不思議な感じでした。

7年前、保坂さんは、モードの展覧会に欠かせない障子のドアを青森ヒバで作ってくれました。 「特別割引」をして下さったことなどを思い出話でしながらも、悲しいかな、かつて彼らが建てた家はもうそこにはありませんでした。 この地域で過ごした時間について、飲みながら話し午後を過ごしました。そして、私は、小包が届いたかを訪ねました。飯塚さんが会社に電話し、謎の小包が届けられました。小包をゆっくりと開け、梱包材を破ると、ぜんまいがでてきました。飯塚さんは、誰もが見ることができるよう、部屋の隅のテーブルにぜんまいを置くように言いました。皆それを触りたがり、どのようにできているかを知りたがり、口々に褒め称えました。お酒を酌み交わしながらアート作品の美しさを語るのは日本にある古い習慣です 。私たちはその伝統をこの浦田で続けました。

私はモードとこの作品を誇りに思います。人々がここまで感動するのを目の当たりにするのは素晴らしいことでしたし、作品が完璧なまでに私たちと浦田のみなさんとのつながりを表しています。作品は、毛と絹を結びつけ、日本とオーストラリアの絆を生み、この場所の特別な美しさと私たちがコミュニティに助けられ支えられたことを表しています。

私たちの再訪を祝う夕げを、久保田さんと飯塚さんが開いて下さいました。オーストラリアのステーキや野菜、トマトスープ、海鮮サラダ、炒めそば、ガーリックブレッド、そしてもちろんぜんまいといった特別メニューが並びました。たくさんの杯を交わしながら、初代オーストラリア・ハウスの思い出話をしたり、飯塚さんの会社の技術により建てられ、驚くべきランドマークとなった新しいオーストラリア・ハウスについて語り合いました。乾杯とスピーチの後、モードのコミュニティへの贈り物はどこにかけられるべきか、という話に戻りました。久保田さんは、断固として新しいーストラリア・ハウスであるべきだ、と言いました。

日曜日の朝、さおりさんのどっきりがありました。彼女が息子さんたちとオーストラリア・ハウスを訪ねてくれたのです。7年前にモードが行った学校でのワークショップに参加したこどもたちです。思春期の少年になったこどもたちは写真からは想像もつきません。彼らは当時のことをよく覚えていて、どの部分を自分がつくったかいとも簡単に見つけることができました。彼らのバナーがオーストラリアまで旅をし、ほかの国の生徒たちが彼らの作品からインスピレーションを受けたときいて嬉しそうでした。隣人ゴンベイさんに、朝のお茶と即興のカラオケに招待されたと思ったら、あっという間に旅の終わりになっていました。

帰り道の途中、飯塚さんの小包の謎が解けました。7年前、彼は、私たちに必ず戻ってくるようにと言いました。必ずこの地に戻ってくることがしっかりと約束された指示書とともに私たちをオーストラリに送り出したのは、飯塚さんだったのです。小包はそんなふうにして彼自身に送り届けられました。

クリス・タグウェル

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