藤田直哉、山野智久、北川フラムによる「地域における芸術祭の意味」対談レポート

2018芸術祭イベントリポート投稿日:2017年12月25日

11月21日は、SF・文藝評論家の藤田直哉さんと、アソビュー株式会社代表取締役社長の山野智久さん(オフィシャルサポーター)をお迎えし、北川フラムと「地域における芸術祭の意味」を語っていただきました。

冒頭、北川から芸術祭の成り立ちを聞いた上で、モデレーターでもある山野さんは「地域アートの意義と対価とは?」と藤田さんに問います。というのも、地域でのアートプロジェクトに疑問を呈した藤田さんの著書『地域アート―美学/制度/日本』(2016年)が話題を呼び、今回の対談へと繋がりました。藤田さんが見てきたアートプロジェクトには、団地で孤独死を発見し腐乱死体を減少させるというものもあり、これらは芸術なのか?と疑問を抱いたのがきっかけだそう。芸術祭の調査レポートでも美的価値の理論としては語られず、芸術祭はまず芸術として語られなければならないと思ったと話します。

藤田さんは「フラムさんは今も(アートを使った)民主主義的な実験をしながら、人々が主体性をもって参加できるように場を作ろうとしていて、その成功は疑わない。ただ一つ聞いてみたいのは、美術として、フラムさんは本当にどう思っているのか。」と、今回の一番の論点に迫ります。これに北川は、藤田さんと自分は“美術”の定義が異なると返します。「美術は“美しい術”と書いてあるのが間違いだと思う。翻訳としてね。僕が考える美術というのは、自然とか文明とか場所とかに対して、人間が、或いは私たちがその上に住んでいるものとの関係を表す技術だと思う。そこに美しいとか芸術的だとかは、僕はほとんど関心がないんです。汚いのは嫌だけどね(笑)」と。

一方で、美術に対して、感覚や認識が変わってしまうような圧倒的な体験をしたいというのが共通にある2人。その体験として北川は2002年の中川幸夫と大野一雄によるパフォーマンス「花狂(はなぐるい)」を紹介します。「中川幸夫という生け花の作家で、ヘリを飛ばして、雨の中で100万枚のチューリップの花弁を上から降らした。僕らは上を見るじゃない?そうすると花弁と雨が僕を包んでいくわけね。天空って距離感が分からない。その中を花弁と雨が落ちてくるときの震える感じは、良いというか、ただ嬉しい。それは妻有をやっているとあるんだよ、そういうのが。」

しかし、関係を表す技術を美術と捉えると、全てが美術となりえる。その中でディレクターとしてどう作品を選定するのか?大地の芸術祭ではどこまでが作品になりえるのか?という山野さんと藤田さんからの質問に、「今(花狂)みたいな空間体験というか。一番僕にとって大きいね。だけどお祭りみたいになって作ったものでみんながワーワーするのも嬉しい。あと食べ物だね。地域の食材でお母さんたちが作って、良い出され方をして。みんなでそれを食べながら、良い食べ物でみんなの顔が変わったりするんですよ。それが良いと思うんだよね。」と北川。

次いで、山野さんは地域を巻き込む意義や困難を問います。北川は、「妻有では少し前まで大多数の人が農業をやっていた。ちゃんとやっていけば食べていけるのに、非効率だから街に下りてこいと言われるようになった。遠い厳しい場所で農業やっている人間は余計なもののように、農業を辞めざるを得ないようにもっていかれる。それに対して、手間のかかる赤ちゃんみたいな美術が、そこにいる5軒ぐらいしかない人に面白いと思える、そういうものが美術の他になかなかないのではないか」と話します。地域にとって喜ばれるものが美術であり、物だけでなくて、そこに至る交渉もふくめて美術だと。

実は北海道の限界集落出身という藤田さんは、地域の切迫感も十分理解しつつ、「人々が楽しむことを望む一方で、消化されて一瞬で消えていくものはどうなるのだろう」と指摘。北川は同意しながらも、欠けている視点があると言います。「美術というのは世の中の中心でやれない人がやっている。出世できたり、計算が早かったり、先輩に可愛がられるタイプでない人たちが美術をやっている。つまり自分の生理をそのまま出している。その生理が汚いとか言われてしも仕方ない。僕は美術をやっている人が弱い人たちだと思っている。それは絶対叩くなと言いたい。弱くて変なもの作ってしまったりするけど、それは1億2千万人いることの仕方ないことで。美術がやっていることは悪くないよ。色々あるし、下手だしまずいけど、そういうのもあっていいんだと言ってることの方が、権力より強いんだ。」と。指摘のあった発展性がないのでは?という点には、「もっとやれるアーチストがやってないではないか、というのは僕も言いたい。でもどんなことをやっていようが美術の批判はして欲しくない。それはダメな人間を攻撃して別の形でやろうとするのと同じ。美術はしょうもない私たちの表れなんだから、そこは絶対に守らなければならないと僕は思う訳ですね。」と持論を展開。藤田さんは、北川の作家に対する考えを初めて知ったと新鮮な驚きを見せます。

これを受けて「芸術祭、すなわち地域とアートの継続に対しては、逆に批判というのは今の一般社会を表わしていることで、社会的調和と愛というのがそれを支えている根本的な考え方が共通としてあったんじゃないかと僕は思いました。」とまとめてくださった山野さん。・・・が、「山野さんがそう言われるならそういう言葉なのかなぁと思うけど、恥ずかしくて聞いていられないよ。調和と愛とか(笑)」と苦笑する北川に続き、「僕も“調和”という言葉が嫌いだから(笑)」と言い放つ藤田さん。熱いストレートな山野さんと2人のギャップに会場から笑いが漏れます。

最後に、山野さんから地域アートや大地の芸術祭への期待・展望を問われ、藤田さんは「自然とか地域とか、そういうベクトルみたいなとこから、僕らの存在自体を問い直すことを芸術祭全般に期待する」と語ります。北川は、「面白くしていくとは、その地域の縦割りとか積年の構造とぶつかってしまう。それが熾烈になる段階。それはほとんど絶望的に厳しい。それを超えていくだけの私たちの勉強、スタッフの動きとか含めてね。国の根幹まで問題になるようなことまで繋がっている。これまでの習慣なり情けなり脅しなりがある。その日常的な脅しや情けを超えていくことは大変。だけどこういう日常的なことでやっていくことは、こちらがダウンしない限りはエンドレスだと思う。でもすごい壁だね。」と話します。そして「1集落がこうなったって、どういう人かによってベクトルはすごく変わるので一般論なんて全くない。そこにいる人の何かを掴めるかというかね。美術は人を変えられない。どちらかというと寄り添うという方に近い。」と話し、対談は終了へ。

価値観の異なる他者の視点から掘り下げることで、より北川の芸術祭への信念や想いが浮き彫りになった回であり、北川の一つひとつの言葉が重みを感じさせた対談となりました。

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