“被告人”北川フラム、裁判で糾弾される

レポート投稿日:2019年3月18日

3月16日、渋谷ヒカリエにて、大地の芸術祭総合ディレクター・北川フラムの文化功労者受賞を祝う会が開催されました。昨夏の大地の芸術祭に続き、4月から瀬戸内国際芸術祭が開幕するこの機会に、大地の芸術祭及び瀬戸内国際芸術祭 総合プロデューサーである福武總一郎氏(公益財団法人福武財団理事長)が発起人代表となり、芸術祭を支えてきてくださった方々をお招きしての記念イベントと祝賀会が行われました。

第1部は、越後妻有チームによる「“被告人”北川フラム」。
普通に祝われたくないという北川の要望を受け、反体制派だった北川フラムがいつの間にか体制に迎合したことを糾弾する裁判形式のイベントへと変貌。北川が文化功労者受賞に値するのかと、北川を追い詰める検察官や裁判官、弁護人役に、大地の芸術祭オフィシャルサポーター、及び、北川と深く関わりのあるゲスト達が登場しました。



妻有の強力な助っ人・小林昇二さん。生シイタケを植え付ける徹底ぶり。北川の縄もその場で藁からさっと編んでくれました。

冒頭、越後妻有の民家を思わせる手作りの裁判セットに、弁護人役の吉田浩一郎氏(株式会社クラウドワークス代表取締役社長兼CEO)、裁判長役の山野智久氏(アソビュー株式会社代表取締役社長)、安部敏樹氏(株式会社Ridilover代表)が登場し、この舞台の経緯と内容を説明。その後、被告人として縄で縛られた北川フラムが刑務官役・成瀬勇輝氏(株式会社on the trip代表取締役)とともに登場し、会場を沸かせます。


続いて登壇したのが、検察官役・東浩紀氏(批評家)。これまでも北川と度々対談し、メディアの問題やディレクターの役割など多様で刺激的な議論を展開してきた東氏からの指摘は2つ。「被告は美術と社会の関わりにおいてユニークな提案をしてきた。その実現のために、代表を務める㈱アートフロントギャラリー(以下AFG)は独立した組織であることが必要だったが、今回の発起人(経済界、政界、行政の方々)の並びが示すように、現在の被告は権力のど真ん中に位置していないか?」。そして「北川はチームで活動すると言いながら、AFGは時に“北川教”とも呼ばれ、個々人の主体性をベースにしたものと言えるのか?」というもの。


裁判長に「権力にまみれた独裁者、北川フラムさん。お答えください」と促され(会場笑)、北川はこう答えます。

「幼い頃から社会が排他的であると感じてきました。その中で重要なことは自分一人でやらない、チームでやること。出来るだけ違う考えの人と共通の場所に立つこと。色々な社会と関わっていくが、自分もその一員であり、対応関係にある。美術をやるのに大切なことは、僕たちはアーチストや地元、行政とぶつかる。いわば、色々な顔をもちながら対応しなければならない、矛盾の中で生きることが重要になってくる。そういう中で色々な関わりが増えてきている。美術は社会そのものと深く関わり、色んなこととぶつかるしかない。どうしても経済や行政の中で動く方々との関係は深まっていきます。その中でどうやるかが極めて重要だと思ってきました。(AFGでの仕事が独裁的だという指摘に対しては)僕のやり方がヤダと言う人もいるかもしれないが、外からみると軍団のようだと言われている。まぁ、そういう面もあるのかな…(会場笑)。ただ中に入ると僕は結構やらされていて、あまり独裁的ではない気がするけど、外からそう見られているのは本当に色んな人から言われます。」

それを受け、「開催当初は距離をとっていた地元の方が今では共に働いている。そんな風に様々な価値観を巻き込み、政治権力をも巻き込む、器の広いフラムさんを信じております。」と弁護人。

被告を追い詰めつつも、最後には「文化功労者受賞おめでとうございます」と締めくくった東氏。会場はあたたかい空気に包まれたまま、次の尋問へ。

次に登壇した検察官役・太田昌国氏は、北川が代表を務める出版社、㈱現代企画室の編集長。北川との出会いは40年以上前という太田氏からの起訴状は、今回の核心に迫るもの。

「1983年から一緒に仕事をするようになり、出版方針として次の3原則を被告と共に決めました。
1:いかなる意味でも、差別を煽動したり、支持したりはしない。
2:日本=単一民族国家論に与さない。
3:天皇制を擁護しない。
この原則に基づいて仕事をしてきたが、今、被告はこれを忘れているのではないか?また、明治維新国家が侵略戦争を始めたときに叙勲制度も始まり、その最初の受賞者は皇族であり、軍人であり、高級官吏たちであった。戦後は一般人にもひらかれたが、叙勲制度の本質は内における差別を固定化し強化するものに他ならない。その観点からすると、なぜ被告は次から次へと国家の、あるいは民間の、あるいは外国政府機関の勲章を受けるのか?その整合性を説明していただきたい。」と。

対する北川の答弁。
「2つ目はよく覚えています。3つ目は何となく薄れていますね。それは心境の変化があるのかもしれない。賞のとり過ぎが問題というのは全くそう思います。なので自分としてはマズイと思うところもあるが、ただ…周りの人がとれって言うから…(会場爆笑)。色々なことを葛藤するのに疲れてきまして、なんとなくというのが今に続いている感じです。これをアンダーグラウンドで拒否できればいいが必ず漏れていく。そうすると周りになぜ勲章を貰わないかを伝えるのが大変でその一つひとつ断るエネルギーではなく、別のところにエネルギーを割きたい。便宜的に貰っていた方が楽というのが実際のところです。しかし差別に対してぶつかるような日常的な言動はやり続けているという自負はあります。」

太田氏は更に切り込みます。
「文化功労者は年間350万の終身年金付きです。憲法14条によると、『栄誉、勲章その他の栄誉の授与は、いかなる特権も伴わない』と定めているが、掛け金もなしに終身年金を保障されることほど特権的な立場はないです。文化功労者は、国家が授けた経済的な特権をもつこの“栄誉”の意味を明らかにしてほしい。」

対して、賞金は自分が貰うのではなく、活動で還していくと言う北川ですが、「朝日賞の500万を十日町市に寄付したら、十日町市から勲章貰いましたね」と笑いを誘います。

太田氏は、叙勲制度が社会の中で果たす役割にはこだわりたいが、北川の現代文明に対する批判的観点への信頼感は揺るいでおらず、これからも共に歩んでいきたいと締めくくりました。

最後に登場した検察官は、オフィシャルサポーター・リーダーの高島宏平氏(オイシックス・ラ・大地株式会社代表取締役社長)。高島氏は、北川が美術を始めた動機について幼少期から本当に考えをもっていたのか疑問をもち、重要参考人として、幼少期を知る北川フラムの実姉・原若菜氏(建築家)を招致。全く聞かされていなかったために動揺を隠せずうろたえる北川。


被告人席の弟を見ての想いを聞かれた若菜氏は一言、「デジャブ、既視感」。
学生の頃、全共闘運動の真っただ中にいた北川は、何度も警察に連行され、その度に若菜氏は夫・原広司氏(建築家)と共に引き取りにいったという。警棒で殴られ血まみれの北川を下宿で発見したこともあったそう。さらに、4歳頃の北川少年が雪の積もった交差点の真ん中で大きな独り言を言いながら数時間寝転んでいたというエピソードも。それは父ではないか?という北川に対し、若菜氏は否定。「父は交差点の端で寝ていて、フラムは真ん中だった」と。会場からはドッと笑いが起こります。

そんな数々のエピソードをもつ北川へ、「国からの表彰に関しては、膨大な裏方たちの中の一人が表彰されることに違和感を覚えますが、たくさんの人たちを巻き込んだこの活動の総体として“国”に周知された訳です。姉としては、フラムもまた新たに若い人たちに向き合い真面目に謙虚になる一歩をと願っています。」と若菜氏。

これに対し、「そうでありたいなと身に染みて思いました。感想ですが、姉がこういう風に話し、自分がここに座っていると本当に被告のような気分になり、初めての不思議な体験をしました…。もう2部・3部が気分的にもたないなと思いました…。」という北川に会場はまたも笑いの渦。

最終弁論で、北川がどんなに批判されようと守り通すと宣言した弁護人や裁判官達は、学生闘争をイメージさせるヘルメットを着用。北川にもヘルメットを促すと「自分は学生時代からヘルメットをかぶっていなかった」と否定(会場笑)。

北川は最後に、「皆さんからの質問や批判、檄を飛ばしてくださって有難いと思います。そういう中で美術をどうやっていくか、美術の素晴らしさを色々な意味で伝えていきたいと思っています。今日集まってくださった皆さまに感謝し、できるだけ謙虚にやっていきたいと思います。」と感謝の意を述べ、第1部が終了。 会場を大いに沸かせ、記憶に残る会となりました。

第2部では、第1部での指摘にこたえるような形で北川の歩みをまとめたプレゼンテーションを、そして第3部は祝賀会が開かれ、花道家・上野雄次氏による見事な作品が設置された会場で、シェフ・米澤文雄氏が各芸術祭地域の素材を使った料理を振る舞う華やかな祝いの場となり、全プログラムが終了しました。




ご来場くださった皆さま、これまで各芸術祭を支えてくださった皆さま、本当にありがとうございました。


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大地の芸術祭の里スタッフ

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