十日町市は、JR東日本に信濃川の水を取られ、東京電力に清津川の水を
取られている。一つは東京の山手線を動かし、一つは関東を支えている。
その二つが中里地域を直撃している。
「大地の芸術祭」で作品を創るアーティストは、その事実を知らないことが多い。
少なくとも地域の悲憤は届いていないと思う。が、なぜか彼らが提示する作品に
そのことが見えてしまうのは、私の思い込みの強さなのか、それとも彼らの感性
の成せる業なのか、或いは北川フラムさんが言う「場」に設置された作品の持つ
「力」なのか?

カサグランデ&リンターラが設置した「ポチョムキン」(作品詳細はこちら)。
この作品は清津川と釜川の合流点にある。わたしはこの名を聞いたとき、
大画面を真二つに割って真っ直ぐに向かってくる、あのエイゼンシュテイン作
「戦艦ポチョムキン」を思い出していました。
「ポチョムキン」の方は、河川敷に広がる棚田の向こうに、まるで戦艦の
横っ腹を見せて停泊している。
清津川に新しいダムの建設ばなしが、何年か前に持ち上がったとき、多くの
地域外の人達の助力と地域をあげて反対したことを知ってか知らずか「ポチョ
ムキン」は停泊している。いつの日か清津川に水が戻り、進水できるのを待って
いるかの様に。
2000年第1回「大地の芸術祭」の時、「ポチョムキン」の下流にクリスチャ
ン・ボルタンスキーが設置した今はない「リネン」という作品が思い出されます。
大雨風の夜、暗闇に光る稲妻の中に、この無数の白い「リネン」が揺れながら
浮かび上がって来ました。 それは、一瞬の劇場でしたが、水を求める自然と
人々の魂の浮遊だったのか、水から切り離された地域へのレクイエムなのか、
複雑な感動が身体を突き抜けたことを思い出します。
もう一つ今はない(ない作品を多く紹介して申し訳ありませんが、想像力を!)
片瀬和夫作「夜釣師」。「リネン」の直下流の白い石河原に、清津川の方へ
倒れ掛かった「黒い釣り小屋」から糸のない釣竿が出ていました。まるで無数の
『石を泳ぐ魚』がいるかのように。正直見るたびに切ない思いがしました。
清津川と釜川の合流点に立ったアーティストは、見えている清流と見えない清流を
五感の中で深く捉えている気がします。そんな清流に足を遊ばせながら、
あなたの五体で感じください。お待ちしています。
(なお、『石に泳ぐ魚』は柳美里さんの作品内容とは関係ありません。言葉どおり
のイメージとして、場の状況と私の感覚に近いので無断で題名をお借りしたまで
です。)
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