こへび隊の江口奈緒です。
4月16日、17日に行われた第3回の「大地の手伝い」報告です。
今回わたしたちのチームが行ったのは、
1日目:〈松代・室野集落〉佐藤貞夫さん宅の片付け手伝い
2日目:〈松之山・浦田集落、北浦田集落、田麦立集落〉震災被害の聞き取り調査訪問と「大地の手伝い」呼びかけ
4月16日(土)1日目
わたしたちがお手伝いに伺った佐藤貞夫さん宅は、まだ雪に包まれていました。
松代の室野集落に独り住まい貞夫さんは、冬のあいだ、横浜の娘さん宅で過ごし、震災後1ヵ月が過ぎた頃に、被災した我が家へ帰ってきたところでした。
「仕事の前にまあ一服しようや」と、貞夫さんはわたしたちをお茶とお菓子でもてなしてくれました。
四国八十八カ所を巡った話や化石のコレクションの話、こへび隊の友人の結婚式のために貞夫さんがつくったお手製「お品書き立て」を見せながら、笑顔で楽しく過ごさせてくれました。
震災後、帰宅して間もないのに、家の1階はきれいに片付いていました。
「何か力になりたい」とやってくるわたしたちを受け入れるとき、迎え入れる側にも気遣いがあることを実感。
わたしたちは、地震でものが散逸した2階を整理して掃除し、破れてしまった障子を張り替える作業をお手伝いしました。

持参した軍手やマスク、手ぬぐいなどのほかは、貞夫さん宅にあった備品ですべて事足りましたが、個人宅の片付けなどでまわるときには、ガムテープやヒモ、はさみ、工具など、簡単なものは車に積んでおくのがベターかも。
でも、散らかった家の中というのは、ほんとうにプライベートな空間。
きれいに掃除された居間にお邪魔するのとは意味が違います。
貞夫さんがわたしたちを信用して受け入れ、震災の被害を共有させてくれたことに背筋の伸びる思いでした。
貞夫さんは何回も「ありがとうね」とつぶやいていました。
「こんなにしてもらってどうやって返したらいいか」という貞夫さんの言葉に、集落のなかで助け合って暮らしてきた妻有びとの「恩と礼」の気質を感じました。
夜は、三省ハウスのすぐ下にある「上屋敷」という屋号の空家に泊まりました。
深夜に、ドン、と下から突き上げるような震動を感じて全員目覚めました。
えっ、また地震?
テレビもなく、深夜だったので、「震度3ぐらいじゃない?」なんて言いあって再び就寝しましたが、朝起きてみると、壁が少し剥落し、破片とともに寝ていたことに気付きました。
震度5弱だったとか。でも、これといった被害はなく、みんな無事でした。
4月17日(2日目)
2日目は、松之山の浦田地区を車で廻りました。浦田地区は、長野県北部で発生した地震の震源地・栄村のすぐそばで、倒壊した家や、隆起した道路、崩れ落ちてむき出しになった山肌、雪の表面でわかる田んぼの激しいひび割れなど、ぱっと見るだけでも地震の大きさが感じられる状況でした。
集落をまわると、あちこちの家に赤・黄・緑の紙が貼られていました。行政がひととおり地域を廻って簡単な調査を行った結果が貼ってあるのです。赤は危険、黄色は要注意、緑は調査済み。
人が住んでいるお宅を探して、1軒1軒訪問し、「大地の手伝い」の趣旨をお話しして、わたしたちが力になれることがないか聞いていきます。ほとんどのお宅は、「とりあえずの片付けはもう済んだから大丈夫」、とのお話でしたが、何軒かのお宅では、おうちの中の被害状況を見せてくれました。引っ越すしかない、との声も。
半壊した小屋の屋根の上で作業している方にもお会いしましたが、「この作業は危なすぎて、手伝わせられない」とのことでした。
飛び込みで伺った1軒のお宅で、「来てくれたんならやっちゃうか」と、倉庫の片付けを手伝うことができました。
今回、松之山でお会いしたみなさんは、笑顔で対応してくださいました。
「自分たちでなんとか片付けたから大丈夫よ!」という言葉に、助け合って暮らしてきた地域の強さを感じる一方で、集落を去っていく人がますます増えるなか、今後への不安を感じて、元気をなくしている様子も伝わってきました。
「作業」としてわたしたちが手伝える部分はきっと、ほんのわずかだと思います。
でも、東京から若い人たちがやってくることで、「もう壊れたままでいい」と諦めていたものを、「人がくるなら直そうか」と思ったり、「せっかくだから、お茶でも飲んで話しをしようか」と思ってくれたり、そんな些細な部分かもしれないけれど、気持ちを分けあうことで元気になっていけたら、と願います。
この大地のお手伝いを通して、ひとりひとりが、地域の人びとと顔の見える個人として絆をつくっていく機会になるといいなと思います。
こへび隊 江口奈緒