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芸術 / 磯辺行久

川はどこへいった(2000 / 2018年)

磯辺行久「川はどこへいった」(2000 / 2018年)Photo by NAKAMURA Osamu

芸術 / 磯辺行久

川はどこへいった(2000 / 2018年)

磯辺行久「川はどこへいった」(2000 / 2018年)Photo by NAKAMURA Osamu

“アースデイ”から“大地の芸術祭”へ――パンデミック下の世界でアーティスト・磯辺行久が考える「環境と人間」

テキスト・編集:渡辺文菜(アートフロントギャラリー)

25 May 2020

2020年4月22日、ニューヨークで初めて「アースデイ」(*1)が開催されてから50周年を記念するその日を、世界はCOVID-19パンデミックの下で迎えました。この50年前の第1回「アースデイ」の開催に、実は越後妻有に深いつながりのあるアーティストが大きな貢献を果たしていたことをご存じでしょうか。磯辺行久――。「人間は自然に内包される」という大地の芸術祭の礎となるコンセプトも、芸術祭構想段階からの磯辺との協働で生まれました。環境と人間との関わりをテーマに、第1回目の「大地の芸術祭」から継続してダイナミックな作品を展開している磯辺にアースデイ50周年を契機として考える過去、現在、未来のこと、そして次回芸術祭への構想を語ってもらいました。

*1  1970年にニューヨークにて、デニス・ヘイズ、ゲイロード・ネルソン上院議員(当時)、イアン・マクハーグなど有識者を中心に企画されたイベントで、環境資源としての水、土、生物の枯渇、都市公害についての危機意識を高めるために行われた。5番街の14丁目から59丁目まで車両入構を禁止し、歩行者天国を作ったのは、世界初の試みだった。これを機に世界に発信され、現在にもつづく市民運動として知られている。
≫大地の芸術祭出展作品一覧

磯辺: 第1回アースデイ時、私は主催組織のなかで運営を手伝い、ポスターやエアドームを制作しました。このドームの中で、専門家たちがティーチインイベントを行い、環境に対する危機意識を世界に発信しました。この日を境に、この50年で地球温暖化やエネルギー問題等を相談できる国際的な仕組みづくりが生まれるまでに至ったのです。ところがこのCovid-19蔓延という不測の事態で、事情は急変しています。北京、ニューヨーク、ニューデリー等の大都市での大気汚染が改善し、ベニスの運河は汚水まみれと悪名高かったのにクラゲが泳いでいる状態。この事実は、私たちに何を語っているのでしょうか? 環境問題についての取り組み方も今後、変革を求められることになるでしょう。

Covid-19後の世の中は、パラダイム・シフトが起きると言われていますが、現在の状況が50年前の社会変革期のニューヨークと似て思えてきます。歴史は繰り返すと言いますから、50年前幸運にも直面できたニューヨークでの経験がこの先の世界への学びになるのではないかとあれこれと思い出しています。アースデイはその後の私の人生の転換点でもありますが、非常に感慨深いアースデイ50周年を迎えることになってしまいました。

プロフィール

磯辺行久

1935年東京生まれ。1950年代から版画を制作し、60年代にはいるとワッペン型を反復したレリーフ制作し一躍注目を集める。ワッペンシリーズには大理石を混ぜた石膏でつくった作品のほか、ドローイングやエンボス、プリントなどの作品がある。1965年ニューヨークに渡り、エネルギーなど環境芸術を学び始めてから作風は大きく変換し、バイオや地質や気象など環境を構成している情報と色彩や形といったアートの伝達ツールを重ね合わせた。2000年に始まる大地の芸術祭との関わりは深く、開催前の地域調査に始まり、信濃川の昔の姿をポールや工事用足場で表現した作品、土石流の痕跡を可視化する作品などを発表している。

第1回アースデイのために制作されたポスター。写真は、磯辺行久記念 越後妻有清津倉庫美術館にて展示したもの。

歩行者天国となったニューヨーク・ユニオンスクエアに「エア・ドーム」を制作設置。

磯辺行久は1935年東京に生まれ、1954年に入学した東京芸術大学に在籍中から、当時のアヴァンギャルド美術、時代の寵児として精力的に制作し続けていました。ところが大学卒業後、1960年代に入って欧州での展覧会旅行の道程で、磯辺はニューヨークの魅力に取りつかれ、そのまま移住します。当時のニューヨークといえば、ベトナム反戦運動にヒッピームーブメント、ポップアートやモダンダンスの興隆など、アメリカ社会に一大変革をもたらす若者たちによる多様な社会・文化現象が起きていました。磯辺は、この状況をつかみたいという思いで、ニューヨークでの生活を始めますが、注目され始めていた「エコロジー」の問題に関心を寄せ、エコロジカル・プランニング研究の第一人者であるイアン・マクハーグのもと大学院で学び、エコロジカル・プランナーとして活動し始めます。

磯辺:米国で労働許可証を得たあとニューヨーク市公園課や市が運営する麻薬中毒者更生施設であるハート・アイランドのフェニックスハウスの施設整備や資金調達イベントの企画に携わりました。この島とこの施設の環境改善計画については、修士論文のテーマとしても扱っていました。この島を調査すると人骨がたくさん見つかるのです。それはこの島はかつて1890年代から市営の刑務所があり、囚人の墓地として長く使われていたからです。60年代に入って顕在化してきた麻薬問題に対応するためにフェニックスハウスが作られますが、78年には立ち入り禁止の無人島になっています。ところが、現在この島は、置き場が足りなくなったCovid-19犠牲者の遺体の仮安置所として使われていることを知りました。この島で出会った人々、一緒に働いた仲間たちのことを思い返しています。

麻薬中毒者更生施設であるフェニックス・ハウスのための資金調達イベント「フェニックス・ハウス・サマーハプニング」を1970年、71年に開催。磯辺は、エアドームを制作設置した。

エコロジカル・プラニングの基本的な考え・手法とは、人間の活動がある自然には「可能性と限界」があるとした上で、環境資源をいかに有効に活用するのか、災害にどう備えるのか、具体的に示すものです。磯辺はエコロジカル・プランナーとして日本に帰国後、各地の防災対応策、都市開発構想のための環境調査に携わってきました。(*2 )磯辺と越後妻有との出会いも、磯辺がエコロジカル・プランナーであったからこそ生じたものでした。総合ディレクターの北川フラムは、「大地の芸術祭」の構想時、磯辺に越後妻有地域の環境資源調査を依頼しました。この調査によって信濃川が地域を流れ河岸段丘を持つ独自の地形、日本海の水蒸気を吸った季節風が山脈にぶつかり冬の豪雪をむかえる気候、豊かな木の実のある植生等が明らかになり、越後妻有地域の大地の条件と、その地に暮らしてきた人々の生活を基盤とするという芸術祭の骨格が生まれたのです。(*3)

*2 こうした調査の中には、当時防災対策として都市強靭化計画を国策として進めていた旧国土庁から委託を受けた「大阪大都市地域における防災都市構造強化計画策定調査(1980)」があり、この研究調査では神戸・六甲山地区の地震被害予測をしている。ここでの研究調査結果は、現在開催が延期している東京都現代美術館での展示「もつれるものたち」で展示される予定だ。美術館での展示物としてこうした環境調査の研究結果を見せるのは極めてまれな出来事である。

 

*3この調査結果は1999年に東京にある新潟県のサテライト情報施設である表参道・新潟館ネスパスにて展示され、シンポジウムも開催された。また、2018年の磯辺行久記念 越後妻有清津倉庫美術館での展覧会でも展示した。

“サイトスペシフィックな美術の成立、あるいは、社会空間(土地所有、売買、時代精神、交通形態、科学技術、権力構造)のなかの美術の成立への第一歩は、磯辺が画家から転身し、エコロジカル・プランニングを経て、また表現活動を再開したことのなかにあるのではないか。アーチストの恣意性をより普遍的な理解の途に向けられるのではないか。こうして大地の芸術祭を構想するにあたって磯辺行久にお会いしたのである。”

(北川フラム「磯辺行久覚書き」『磯辺行久作品集 川はどこへいった』、現代企画室、2018より)

磯辺行久/著
2018年8月刊行
定価2500円+税
B5変並製・174頁

変わりゆく越後妻有の大地と人々の暮らし―自然との関わりを可視化する作品

もちろん、磯辺はアーティストとして、私たちの記憶に残る数々の作品を残してきました。2000年第1回目の芸術祭で発表された「川はどこへいった」は、田んぼの中で旗をたなびかせながら並ぶ無数の黄色いポールは、かつての信濃川の流れを可視化させたものでした。遠い昔、蛇行していた川は、現在に至るまでダム開発等で人の手が加えられて姿や流れが変わってきています。そして川の流れの変化によって、人々の生活も変化する、そういった自然と人との関わりあいを表現した作品でした。以来継続して参加し、前回の2018年の芸術祭では、これまでの作品の再現を行うにとどまらず、旧清津峡小学校から生まれ変わった「磯辺行久記念 越後妻有清津倉庫美術館「SoKo] 」が開館。これまでの越後妻有との関わりや美術家としてデビュー以来50年を超える磯辺のアーティスト人生の軌跡を振り返る展覧会を開催しました。

「川はどこへいった」(2000年/2018年)photo by NAKAMURA Osamu

「信濃川はかつて現在より25メートル高い位置を流れていた—天空に浮かぶ信濃川の航跡」(2003年/2018年)photo by NAKAMURA Osamu

「古信濃川の自然堤防跡はここにあった」(2009年)photo by MIYAMOTO Takenori + SENO Hiromi

「土石流のモニュメント」(2015年/2018年)photo by NAKAMURA Osamu

「サイフォン導水のモニュメント」(2018年)photo by KIOKU Keizo

「サイフォン導水のモニュメント」夜間(2018年)photo by KIOKU Keizo

磯辺行久記念 越後妻有清津倉庫美術館[SoKo](2017年)photo by NAKAMURA Osamu

磯辺行久記念 越後妻有清津倉庫美術館[SoKo]企画展「磯辺行久の世界―記号から環境へ」(2018年)photo by NAKAMURA Osamu

限界集落はいかに生じたか―2021年に向けて

すでに次回2021年の大地の芸術祭での作品構想も始めているという磯辺。「限界集落」「過疎」といった現象がいかに生じたのか、エコロジカル・プラニングの視点から読み解くというものです。そこには、このパンデミック以降、変容する価値観へのヒントも隠されているようです。

磯辺:エコロジカル・プラニングの延長線上にフェア・トレードという考え方があります。分かりやすく云えば、牛肉1キロを生産するのにどのくらいの水、牧草の量が必要なのか、汚染される土壌の量はどのぐらいか算定します。その算出にみあった環境への負荷、労働への対価、流通のシステムなどを監視し、規制する取り組みのことです。(*4)生産・加工・流通のプロセスの適正な経済的基準、社会的基準、環境的基準を国際的に定めるもので、サプライチェーンのグローバル化で巧妙に起こりうる感染症やドラッグの蔓延の対策をも議論の対象となっていますので非常に現代的な関心と言えるでしょう。現在は発展途上国を中心に取り組まれていますが、日本でも注目され始めています。

そこで思い出されるのが「過疎化」の現象です。日本では、地方の過疎化はもっぱら少子高齢化が原因であるとされてきましたが、地方での産業と流通へのフェア・トレードの概念の欠如や環境的な条件にも要因があるのではないか、という問題に関心があります。こうしたことを次回の芸術祭で作品として明らかにできればと構想しています。このパンデミックで、今後人口が集中する大都市から地方へと人が移動していくという話も聞くようになってきました。そう予測される今だからこそ、このポイントを改めて考えてみる必要があるのではないでしょうか。

*4 「公正・公平な貿易」を目指すフェア・トレードは現在、制度としては国際フェア・トレード認証ラベルの表示があり、このラベルのある製品は国際的に定めた基準を満たしています。こうした製品を購入することで生産者の生活とそのコミュニティを支えることにもつながる生産から消費のサイクルを持続可能なものにする取り組みです。


磯辺さんと出会ってから、自然を見る指標が変わりました

2000年の「川はどこへいった」から毎回お手伝いをしています。磯辺さんは、想像したものではなく、地殻変動に及ぶまでの地域・自然のデータに基づいて、作品制作をされています。作品を展開する場所に隠れたこと、今まで気づくことのなかったことを見せていますよね。ただポールが設置されているだけなのではなく、地域のことを知れる作品です。磯辺さんの作品に携わってから、山一つ見るにしても、風の向きにしても、自然を感じる指標がひとつ増えたというか、身の回りを見る視点が変わりました。最近は特に自然災害が大きな問題となっていますから、余計に変わってきているでしょうね。

磯辺さんの作品は毎回一時的なもので、会期が終わるとモノ自体はなくなってしまいます。ただ、だからこそ余計に記憶に残って、地域の人たちにとって印象深い作品になっているのではないかと思います。

プロフィール

南雲昇

中里地区在住。測量士。2000年から磯辺作品を手伝う。

Infomation

磯辺行久記念 越後妻有清津倉庫美術館[SoKo]

磯辺行久記念 越後妻有清津倉庫美術館(通称Soko/ソーコ)は、2015年、旧清津峡小学校の体育館をリニューアルし、「 展示しながら、保管する」という新しい発想の元 「清津倉庫美術館」としてスタート。2018年、新たに追加された校舎棟リニューアルにて、磯辺行久本人より寄贈された数多くの作品を展示。これらを常設展示の柱とし紹介し、 地域の地勢と暮らしをアートを通して深く知ることのできる地域の主要施設としても生まれ変わった。

■所在地: 新潟県十日町市角間未1528-2
■開館日: 「大地の芸術祭の里」の特別プログラム期間に開館。詳細はNewsにて告知。
■アクセス:
・バス
越後湯沢駅発→清津峡入口下車 徒歩5分
<急行>湯沢~清津峡~津南~森宮野原 線 (南越後観光バス)
・車
高速から   関越自動車道 塩沢石打ICから国道353沿い、20分
十日町駅から 国道117号から山崎交差点を左折し国道353沿い、30分
駐車場    あり
マップコード 253254097*18
■公式HP   コチラ

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