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芸術 / 安野太郎

部屋とピアノの為のコンポジション「偽ハルモニア論」

安野太郎「部屋とピアノの為のコンポジション『偽ハルモニア論』」(2021年)Photo by Kioku Keizo

芸術 / 安野太郎

部屋とピアノの為のコンポジション「偽ハルモニア論」

安野太郎「部屋とピアノの為のコンポジション『偽ハルモニア論』」(2021年)Photo by Kioku Keizo

“作曲家自身を作品として展示する”―公開から1か月、安野太郎に聞く

テキスト・編集:丸尾葉那/NPO法人越後妻有里山協働機構

30 September 2021

ヴェネチアビエンナーレ2019の日本館に共同出展し、「ゾンビ音楽」の名を馳せた作曲家の安野太郎さん。これまで安野さんはリコーダーを用いた自動演奏機械による「ゾンビ音楽」のプロジェクトを継続して行ってきましたが、大地の芸術祭では新たな取り組みに着手。越後妻有 「上郷クローブ座」にて現在、“作曲家である自身”を作品として先行公開しています。今回の出展にあたり、安野さんの創作活動についてお話を伺いました。

これまでの活動―「ゾンビ音楽」とは

――「ゾンビ音楽」について教えてください。

「ゾンビ音楽」とは、自動演奏機械により超人間的な音楽を目指した結果、紆余曲折を経て人間でも超人間でもない非人間的な“ゾンビ”となった音楽のことです。

――なぜ「ゾンビ音楽」というのでしょうか?

僕の考えるゾンビは、フランケンシュタイン博士が完璧な人間を目指し、墓場から掘り起こした人体を繋ぎあわせた人造人間から着想を得ています。博士はすごい人間を作ろうとしたけれども、実際生まれてきた人間は醜くて…。「ゾンビ音楽」も、人間を超えた音楽をめざして自動演奏機械を制作していたけど、思っていたのとなんか違うなと。でもカテゴライズしてあげれば、何か道が生まれるだろうと思って、“ゾンビ”という名前をつけました。「醜い」というのは人間が勝手に決めつけたもので、醜いか・醜くないかは時代によっても変わりますよね。

プロフィール

安野太郎

1979年東京生まれ。日本人の父とブラジル人の母を持つ。あらゆるメディア、テクノロジー、手段、方法で、音楽そのものをあり方から問い直し続ける作曲家。代表作に、「音楽映画」シリーズ、「サーチエンジン」、「ゾンビ音楽」シリーズ等がある。近年は作曲家の枠を超えて現代音楽とインスタレーションが融合した展示型音楽作品を発表し、音楽・美術の両面において活躍している。2019年には第58回ベネチアビエンナーレ日本館代表作家のひとりに選出され、国際的な舞台も経験している。2021年より愛知県立芸術大学准教授。

「安野太郎Taro YASUNO」Youtubeチャンネルより

大地の芸術祭との関わり

――大地の芸術祭へのイメージはありますか?

僕、実は前にも(大地の芸術祭に)関わっていて。2007、8年かな。それは僕が東京藝術大学の助手をやっているときに引率というか、先端芸術表現科と音楽環境創造科の合同でやるイベントがあって、間接的に関わっていました。大地の芸術祭が藝大にオファーして作ったパビリオンのひとつとして。

――それはどんな作品ですか。

地域の人のビデオと声のための作品。そのときは場所としては仙田。仙田保育園と仙田小学校どちらも廃校になっていて両方を使いました。今はもうないんじゃないかな。毛利嘉孝さんと熊倉純子さんが主体で、その時僕は助手としてついて行ったという感じですね。あとは、日大芸術学部で非常勤講師をしていたことがあり、日大は毎年越後妻有に合宿に行くから3年に1回来ていますね。実は割と見に来ています(笑)
>>克雪ダイナモ・アートプロジェクト(2009年)

「克雪ダイナモ・アートプロジェクト」(2009年)Photo by Miyamoto Takenori + Seno Hiromi

コロナ禍の葛藤と歩み

――安野さんは作曲家として活動される一方で、この1・2年で大学講師やYoutubeなどその他の活動も始められましたよね?

コロナ禍でいろいろやってみましたが 、正直なことをいうとコロナによってモチベーションをそがれました。今やってることが正しいとか、自分の表現していることを疑いなくやれば大丈夫なんだとかいう自信が、今までもあったわけではないですが、このコロナ禍は、自分が今の世に自らの活動を問うことがどうなんだろう、この状況で何をやっていいのかわからないという感じでした。やりたいことがないわけではないのに、それでいいのかとかを考え込んでしまう…。

――作曲家としてではない活動を始めたことで、安野さんの創作活動における新しい方向性は何か見つけられたのでしょうか?

教員の活動は、今年1年目で新しいことがいっぱいで、自分が動かなければならない場面がたくさんあって救われていますね。そこには、これから表現をしたいという卵の人たちがいっぱいいて。彼らとコミュニケーション取りながらいろいろなことができることに、めちゃくちゃ救われています。このように生活環境において、何らかが変化した状況で次に自分が何を表現すればいいのかはまだよく分かっていません。そんななかで(大地の芸術祭作品である)本作は、とても迷いのあるものとなっています。ここ1~2年は人類が大いに迷っている最中だと思うので、まぁそれに呼応してる感じでいいんじゃないかなって思ってます。

「越後妻有 上郷クローブ座」の3階まで登りきると現れるキャプション。Photo by Kioku Keizo

――作曲家を展示するということを1か月やってきてどうですか? コロナ禍ではオンラインの活動が多いなか、出展に際しては逆に越後妻有で行うという場所性を問われたと思います。

コロナの感染拡大を受けて、1か月間(休館となり)展示が止まったので、振り出しに戻りました。時間が止まったので、今日が公開の初日みたいな気持ちです。

作曲中の安野さん。Photo by Kioku Keizo

――参加のオファーをされたとき、どのような作品づくりを考えていたのですか?

自分が今までやったことないことをしようなかなと思っていました。僕も今年から愛知に住み始めて、僕の人生自体がセカンドシーズンに入った感じがあるので。(芸術祭への出展の)お話を受けて、セカンドシーズンに向けて、何か新しいことをやろうかなという気概はありました。

――自動演奏の「ゾンビ音楽」からシフトしたのは、そういうことだったですね。

そうですね、自動人形から自動人間みたいな(笑)


展示する自身を、“自動人間”ともおっしゃる今回の作品「部屋とピアノの為のコンポジション『偽ハルモニア論』」は、今後どのように変化していくのでしょうか。ぜひ「越後妻有 上郷クローブ座」にて、“作家自身を展示する”実験的な本作をご鑑賞ください。
現地にて作曲の様子がご覧いただける日程はこちら。

上郷にて鑑賞できる作品

越後妻有「上郷クローブ座」

Photo by Kioku Keizo

「部屋とピアノの為のコンポジション『偽ハルモニア論』」安野太郎

慣習として、音楽の発表の場では、限られた上演時間があり、その作品の時間と空間を鑑賞者が共有します。美術展示では、上演時間は無く、それぞれのタイミングで自由に鑑賞し、人々は作品と空間を共有します。そこに時間の共有は生まれません。このように、音楽会と美術展示では、時間と空間の在り方が異なるのです。

これまで音楽の在り方を模索してきた作家は、自動機械による演奏を展示することによって、美術展示という空間のなかで音楽を成立させる試みをおこなってきました。そしてそれらの作品を通して、人間社会と機械の関係性を問い、自動演奏機械のための楽曲を生み出してきました。

その取り組みの新たな展開として、本作は自動演奏機械ではなく「作曲する人間」を展示します。音楽の構造が暗示されている部屋の中で、延期された本番のための音楽を作曲しつづけます。

Photo by Kioku Keizo

「上郷バンドー四季の歌」ニコラ・ダロ

地域でのヒアリングをもとに制作された、4体の擬人化された機械仕掛けの人形がバンド形式で楽曲を披露します。
リニューアルした越後妻有里山現代美術館 MonETにて、同作家の新作「エアリエル」も公開中。

Photo by Kioku Keizo

「シネマ上郷」カン・タムラ

越後妻有の二十四節気」をもとにした映像作品を、クローブ座の旧校長室にてミニシアターとして展示しています。
越後妻有里山現代美術館 MonETの映像展示室にても公開中。

香港ハウス

Photo by Kioku Keizo

「1/2 Step House 半歩屋」ラム・ドンパァン(林東鵬)

パンデミックにより現地で制作できなかった作家が、1/2を香港ハウスへの旅を夢想する空間、1/2を鑑賞者の想像に委ねる空間として作品を公開中。

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