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芸術 / クリスティアン・バスティアンス

越後妻有版「真実のリア王」(2003年)

クリスティアン・バスティアンス演出「越後妻有版『真実のリア王』」2003年(撮影:森山大道)

芸術 / クリスティアン・バスティアンス

越後妻有版「真実のリア王」(2003年)

クリスティアン・バスティアンス演出「越後妻有版『真実のリア王』」2003年(撮影:森山大道)

里山のお年寄りたちによる、人生の独白。素顔で演じた喪失と再生の幽玄劇

テキスト・編集:内田伸一 編集:川浦慧(CINRA.NET編集部)

06 March 2020

シェイクスピア4大悲劇のひとつが、越後妻有での人生と交差する

「越後妻有版『真実のリア王』」は、シェイクスピア4大悲劇のひとつ『リア王』に着想し、越後妻有の70~90代男女10名がステージに上がった異色の舞台作品。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2003」のオープニングを飾り、まつだい雪国農耕文化村センター「農舞台」のこけら落とし公演でもありました。作・演出のクリスティアン・バスティアンス(*1)は、シェイクスピア劇と里山の人々の営みを重ね合わせるという挑戦を通じて、この作品を結実させました。

*1:作者 クリスティアン・バスティアンスについて

1951年、オランダのアムステルダム生まれ。バスティアンスのアートプロジェクトは、複雑で多層的なインスタレーション(彫刻、ドローイング、アッサンブラージュ、写真、映像、パフォーミングアーツから成る)と、社会問題を型破りな方法で結びつける。社会における転換を余儀無くされたこと、激変したこと、排除されてしまったことを表現の中心に据える。彼のテーマは「人間の条件」。人間存在の本質を見抜くために、生と死、美と恐怖を中心とした状況を追い求め、人々がもっとも基本的な生存戦略に頼らざるを得ない場所を旅する。

シェイクスピアの『リア王』は、ブリテンの老君主リアが、3人の娘たちに領土を分配しようとしたことから始まる悲劇です。老いて頑固になったリア王は、父想いの末娘を口論から勘当し、頼りにした長女と次女には裏切られ、富も権力も愛も失い荒野をさまよいます。やがてフランス王妃となった末娘が軍勢と共にリアを救いに来ますが、逆に父娘とも捕らえられ、リアは末娘の獄死に絶望しながら自らも世を去ります。

この、いわば「喪失の物語」がどのように越後妻有につながったのでしょうか。バスティアンスは当初、東京のホームレスの人々と『リア王』の世界を結びつけるパフォーマンス / 映像作品を考えていたと言います。都市部のホームレスの中には、かつて安定した社会的地位にあった人たちも、家族と暮らす家のあった人たちもいるでしょう。彼はそうした人々と、老いと共に多くを喪失していくリア王に、どこか重なるものを見ていたそうです。

それが意外な展開を見せたのは、一通の手紙がきっかけでした。今回、当時から16年ぶりにそのころを振り返ったバスティアンスは、こんな風に答えてくれました。

バスティアンス:手紙は『大地の芸術祭』からで、私の当初の考えを応用して越後妻有で新作を作ってみないかと誘われました。興味を持ってリサーチを始めると、この地域が高齢化や後継者不足などの厳しい問題を抱えていると知りました。若者が大都市に流出してしまうという大きな流れを止める術が、田畑を営む高齢者たちにあるでしょうか? 大事に育ててきた田畑もやがて消えてしまうかもしれない。そうしたことを知り、私はここで彼らの物語と、リア王のドラマを併置する作品を作れると気づいたのです。

しかし、創作悲劇と現実の社会課題を重ね合わせ、しかも地元の人々に舞台に立ってもらうのは、かなりデリケートで困難も予想される取り組みです。それが実現できたのは、バスティアンスが苦難の表層的なドラマ化ではなく、この戯曲が持つ「人間の条件」という普遍的なテーマに取り組んだからだと考えられます。

バスティアンス:私はまず、越後妻有に住むお年寄りに彼らの過去を聞かせてほしいと相談しました。まず3人の女性、それから盲目の方、僧侶、他に幾人かの農家の人たちにお願いしました。女性が3人というのは、もちろんリア王の3人娘から来ています。盲目の人は、暗闇のなかでも進む道を見つける大事な役割です。僧侶は、いわば道化(『リア王』にも登場する)的な役割を果たす存在として想定しました。

クリスチャン・バスティアンス演出「越後妻有版『真実のリア王』」2003年(撮影:森山大道)

呼びかけに同意してくれた70~90代の男女10人を訪ね、バスティアンスとスタッフは山中の各集落にある彼らの家へ出かけました。まずしたことは、どの家でも「一緒に酒を飲むことでした」と彼は笑いますが、人々は意外なほどオープンマインドで、自分たちの物語を実直に話してくれたといいます。こうしたやりとりは半年近くも続きました。

バスティアンス:やがて私にわかってきたのは、彼らは手がけた田畑や生業を継ぐ者がいなくなる辛さを抱えながらも、親密で幸福なコミュニティを作っているということでした。訪ねた家々では、とても豊かで喜びに満ちた雰囲気を感じることができました。

人間の尊厳を問う言葉−−「一人だって、必要でしょうか」

クリスチャン・バスティアンス演出「越後妻有版『真実のリア王』」2003年(撮影:森山大道)

バスティアンスが得たその実感は、「越後妻有版『真実のリア王』」の一風変わった演出に大きく影響したと思われます。2003年の夏に行われた公演では、まつだい農舞台の1階、周囲を棚田や緑に囲まれたピロティに特設舞台が現れ、前述のお年寄り10人が舞台に上がりました。ただ、そこで彼らは台本に沿った演技をするのではなく、風呂敷に包んで持ち寄った手製の料理を広げ、それらを食べたり飲んだりしながら、ただ素顔のままで語り、互いの話に耳を傾けたのです(*2)。

バスティアンス:私はこのお年寄りたちが集まる「宴」のために、舞台上に木のテーブルをこしらえました。それから、風に揺れる精霊、または幻のような彫刻たちも。また、開いた本を模したスクリーンを作り、絹でできたそのページに、老人たちの古いアルバムから借りた写真を投影しました。さらにスピーカーからは、予め収録しておいた彼らの一人語りを流しました。それは、各々の人生の独白と、同じく彼らが読む『リア王』の台詞を織り交ぜたものです。つまりこれは、フィクションとドキュメンタリーの組み合わせ的な『ドキュフィクション』であり、私は彼らへのオマージュとしてこの作品を作ったのです。

クリスチャン・バスティアンス演出「越後妻有版『真実のリア王』」2003年

*2 『彼岸は廻る 越後妻有版「真実のリア王」写真記録集』

森山大道が撮り下ろした舞台写真や里山の風景に加え、舞台でも使われた、地域の古いアルバム写真などで構成される。舞台の脚本や、北川フラムとマリアンヌ・ブラウアーのエッセイも収録。構成は中塚大輔が担当した。日英併記。
発行:現代企画室(2004年5月刊行)
定価3,000円+税 B5変型判・214頁
越後妻有オンラインショップで見る

暗がりのなか最低限の照明で進む、幽玄劇とも言えそうな世界(*3)。そこでスピーカーから聞こえてくるお年寄りたちの独白は、それぞれの人生でした。子どものころ見た、実りの季節の果実や稲穂の美しさ。産業の機械化が進むなかでの葛藤。都会へ出稼ぎに行った者、地元を離れられなかった者。また、戦中・戦後に遭遇した苦難や、愛する家族との死別の記憶。観衆は、舞台上で和やかに進む宴会の背後に、そうした様々な物語があることに思いを馳せます。

そこで何度も繰り返される「一人だって必要でしょうか」という言葉も印象的です。これは『リア王』劇中でリアの次女が、老父のお抱えの家来を大幅に減らすよう厳命する台詞。かつての強者が持たざる者になってゆく姿を象徴する言葉ですが、「越後妻有版『真実のリア王』」ではまた違う響き方もしたのではないでしょうか。それは、たとえ国や社会のなかでは小さな存在でも、一人ひとりの人間の内にある尊厳や存在意義、言い換えれば「人間の条件」を問いかけてくるようです。一方、スピーカーの声は、人間により滅びつつある地球の幻想的な姿(盲目の男性がみた夢)を語ることも。これらが交差することで、本作は救いのない悲劇でもなく、また単なる人間賛歌でもない、幽玄かつ深遠なものになりました。

多くの人々に言葉にならない強烈な印象を残した、「越後妻有版『真実のリア王』」。それは公演から長い年月を経た現在も、私たちがときに時代や社会の波にさらされ、何かを失いながらも「今を生きる」ことの意味を考えさせます。

*3 作者・バスティアンスと日本の関わり

バスティアンスは能をめぐる「幽玄」(奥深くてはかり知れないこと)という観念や舞台構造、現実世界と精神世界が交わる抽象的な物語にも惹かれると語る。「能では全ての動作に意味があります。声音は祈りとして機能し、時空を超えた瞑想的な空気を生みながら、優雅さと悲哀を表現します」。またアムステルダムの芸術大学で学んだ70年代、ミクリ劇場で寺山修司率いる天井桟敷や、笈田ヨシの舞台を観劇。日本への関心が高まり、京都市立芸術大学に留学した。その後、京都で出会った美術家・井田照一(1941-2006)は「私にとって良きメンター(指導者)」だと語る。


相手が立派な人かどうかとかは関係ない。人はみんな「平ら(たいら)」だと思うから。

当時、顔を出していた松寿大学(松代町で行われていた生涯学習事業)の校長さんに声をかけられ、「越後妻有版『真実のリア王』」に参加しました。校長も芸術祭側から相談されて「あのヘンな婆さん呼んでこよう」となったのかもしれませんね(笑)。もうだいぶ前ですが、おとうさん(夫)が病気で急逝して、私は1年くらい泣いて暮らしたけど、そのままじゃ何にもならないなといろんなところに顔を出すようになったんです。そのひとつに松寿大学があって、そういう縁でもあります。

バスティアンスさんや彼のお友達は気取らない人たちで、家に話を聞きに来て、木の葉で包んだお餅を出したら珍しそうに食べたりしていました。私も相手が立派な人かどうかは関係なく、人はみんな「平ら(たいら)」だと思う人間。だから、訪ねてきたら「まあ入らんかい」という感じでした。舞台本番では、客席から姉の「がんばれ~!」って声が聞こえましたね(笑)。今は足が弱って前のように歩き回れなくなったけど、またいつか、バスティアンスさんたちとお茶を飲みながら話したいですね。

プロフィール

高橋カヤ(たかはし かや)

「越後妻有版『真実のリア王』」出演者

1931年、新潟県十日町市の莇平(あざみひら)生まれ、在住。「越後妻有版『真実のリア王』」に出演したほか、日比野克彦が越後妻有ほか日本各地で行う「明後日朝顔プロジェクト」にも貢献。


自分がなぜアーティストであるのかがわかった、決定的な作品です。

越後妻有版「真実のリア王」は、私にとって決定的な作品になりました。自分がなぜアーティストであるのかが、わかったからです。よい作品を作り、発表することだけが重要なのではありません。そこで関わる人々と出会い、話を聞き、一緒に時を過ごすことが、私にとってとても大切なのです。私たちは異なる世界に生きる者同士ですが、素晴らしい出会いを共に経験できました。お互い、この公演が終われば二度と会えないかもしれないと知りつつ、しかしそうした美しい場面に幾度もふれることができた。そのことは、今も私にとってかけがえのない思い出です。

プロフィール

クリスティアン・バスティアンス

アーティスト

1951年、オランダのアムステルダム生まれ。「越後妻有版『真実のリア王』」の作者・演出者。

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