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芸術 / 北山善夫

死者へ、生者へ(2000年)

北山善夫「死者へ、生者へ」2000年(撮影:安齋重男)

芸術 / 北山善夫

死者へ、生者へ(2000年)

北山善夫「死者へ、生者へ」2000年(撮影:安齋重男)

消えると知りつつ生まれてきた、
語り継がれる現存しない名作

テキスト・編集:内田伸一、編集:川浦慧(CINRA.NET編集部)

10 January 2020

豪雪地に3ヶ月こもって生まれた、生と死と記憶のインスタレーション

「死者へ、生者へ」は、2000年の第1回「大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ」で発表された大型インスタレーションです。アーティストの北山善夫(*1)が真冬の越後妻有を訪れ、ある廃校に3ヶ月以上もこもって完成させました。その場所とは、旧中里村(現・十日町市)の村立清津峡小学校 土倉分校。越後妻有のなかでも有数の豪雪地帯において、かつて子どもたちが集い、育ち、そして卒業していった場所です。同校は1882年(明治15年)創設の歴史ある学校でしたが、土倉分校は1996年に閉校しています。

*1:作者 北山善夫について

1948年、滋賀県生まれ。現在、京都府在住。10歳の頃に大病を患い、中学校卒業後は染織業の仕事へ進む。しかし18歳で病が再発。やがて自身にとって切実な「生と死」をテーマに作家として活動していく。1982年には「第40回ヴェネチア・ビエンナーレ」の日本代表に選出。竹と紙による大型彫刻で注目された。以降も様々な制作手法を獲得しながら活動する。

天気の良い日には陽光で満たされる講堂・体育館に展示されたのは、空間いっぱいに渦を巻くような、また広がる波紋を表したようなオブジェ。これは無数の竹ひごを繊細に組み上げたもので、そこへ色とりどりの紙片が貼り付けられ、宇宙を思わせるような、うねり上がるような躍動感が生まれました。さらに天井からは、羽根の生えたミニチュアの小さな椅子が吊りさげられ、無数の天使のように浮かびます。

北山善夫「死者へ、生者へ」2000年(撮影:安齋重男) かつて村の子どもたちが集い、育ち、卒業していった場に、宇宙を思わせるオブジェが出現した。

また、そこから2階へ上がる階段横の壁には、この学校で大切な時間を過ごした子どもたちの生き生きとしたスナップ写真がびっしりと並びます。その講堂を見降ろすように並ぶ3つの教室では、黒板に生徒たちの文集から詩が書き出され、卒業時の送辞や答辞なども掲示されました。他方、北山自身によるドローイングや、彼が長く「死」をテーマに集めてきたという新聞の切抜きやメモなど、対照的とも言える要素も張り出され、作品名にある「死者へ、生者へ」の意味を考えさせられます。さらに、建物の外壁からは、この場所が外界につながっていることを示すように、一対の翼が伸びていました。

北山善夫「死者へ、生者へ」2000年(撮影:安齋重男) 建物の外壁からは、この場所が外界につながっていることを示すように、一対の翼が伸びていた。


「消滅と誕生」について考えさせる、作品をめぐる物語

こうして同作は、学校の思い出や記憶に満ちあふれる空間になったと同時に、単に郷愁を誘うのではなく、普遍的な死生観を思わせる表現にもなりました。場所が山の奥深くだということもあり、発表後、初めのうちは1日に数人あれば良いほうだったそうです。道も細いためバスなどでは乗り付けられず、手前の駐車場から乗用車で来場者を送迎するなどしていましたが、やがて評判が広がり、会期後半には車が数珠つなぎになっていくほどでした。

実はこの分校は、もともと会期後には取り壊しが決まっており、作家もそれを承知の上で取り組んだ作品でした。現在では越後妻有の各地に、恒久的に残された作品がいくつもありますが、残念ながらこの作品は当時のものが現存していません。しかし、その後も広く語り継がれる作品となった結果、過去の名作を振り返る「大地の芸術祭 もう一度見たい名作展」で北山自身により再制作されるなどしています。作品をめぐるこうしたストーリーも、同作がもつ誕生と消滅へのまなざしを深める点で、興味深いものと言えるでしょう。

北山善夫「死者へ、生者へ」2000/2017年 「大地の芸術祭 もう一度見たい名作展2017春」(撮影:中村脩)

北山善夫「死者へ、生者へ」2000/2017年 「大地の芸術祭 もう一度見たい名作展2017春」(撮影:大地の芸術祭)

北山善夫「死者へ、生者へ」2000/2017年 「大地の芸術祭 もう一度見たい名作展2017春」(撮影:中村脩)

なお、旧清津峡小学校「本校」のほうは現在リニューアルし、磯辺行久の作品群を常設展示の柱とし、同時に、現代美術の最前線の大型彫刻作品を鑑賞しつつ保管できる「磯辺行久記念 越後妻有清津倉庫美術館[SoKo]」(*2)として活用されています。

磯辺行久記念 越後妻有清津倉庫美術館[SoKo](撮影:山本想太郎)

2015年、旧清津峡小学校の体育館を改装し、「展示しながら、保管する」という新しい発想のもと開館。美術品の「都市」と「地域」の交換を掲げ、大型作品の保管場所で悩む都市の芸術家と、空家や廃校が増える越後妻有の事情とをプラスに変換する試みでもある。後に、校舎棟のリニューアルも実施し、大地の芸術祭の思想的なバックボーンとして深く関わってきた作家・磯辺行久の作品群を常設展示の柱として紹介している。(撮影:中村脩)

磯辺行久記念 越後妻有清津倉庫美術館[SoKo]


今なら何としてでも残そうとしたと思う、私にとってはそういう作品です。

北川フラム(『美術は大地から』編集長 / 「大地の芸術祭」総合ディレクター)

北山善夫の「死者へ、生者へ」が完成したそれを初めて見たとき感じたのは、これは美術館のいわゆるホワイトキューブ(真っ白な抽象化された空間)では絶対に生まれない表現だ、ということでした。この作品は、最初からこのようなプランではありませんでした。特に、かつての学校での営みにまつわる写真や文集などを取り入れることは、制作途中で北山がふと、それらにふれたことから生まれたのではないかと私は考えます。彼はそうすることで、当時の空気をこの場において生き返らせようとしたのではないでしょうか。完成した作品を見て「ああ、こういうことなのか。何か納得した」と言った地域の方がいました。

様々な「時間」を形にした優れた作品は、「大地の芸術祭」に多く見られる特徴だとも言えます。それは、この地には時間を重ねてきた古いものがたくさん残っていることとつながっています。同作は、会期後に建物そのものが解体されたため、残念ながら作品を残すことができませんでした。当時は皆そのことを承知の上で取り組んでいましたが、私たちにまだ十分な力がなかったということもあります。今なら、何としてでも残そうとしたと思う。私にとってそういう作品です。

プロフィール

北川フラム(きたがわ ふらむ)

『美術は大地から』編集長 / 「大地の芸術祭」総合ディレクター

1946年、新潟県高田市(現・上越市)生まれのアートディレクター。2000年に始まった「大地の芸術祭」に、その準備段階から現在まで総合ディレクターとして関わり続けている。

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